第6回パイデイア哲学カフェ報告

第6回パイデイア哲学カフェ報告

第6回目にして、主催の齋藤ゼミが初のコラボ。コラボのお相手は、同じ哲学のゼミである染谷ゼミです。今回のファシリテーターと書記は、染谷ゼミから鈴木友美、戸田慎之介が務めさせていただきました。テーマはずばり「愛とは何か」です♡ 日常の様々なところに溢れていて、目に見えない「愛」を対話によって考えていきましょう、というねらいで多くの方々と哲学していきました。「愛」といわれると、パッと浮かび上がってこないくらいたくさんの種類があると考えられますし、男女間での差異・年齢層での差異などで「愛」と呼べるか否かという違いもあることと思います。大学生と大学生より目上の方々、そして男と女、各々の立場を全てフラットにして、果たして90分間で、どのような観点から「愛」が語りだされたのでしょうか。

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今回皆さんの発言からは、主に「友愛」「自己愛」「愛着」「愛国心」といったテーマが読み取れたように思います。「愛国心」は今日の日本においては非常に重要なテーマとなりそうでしたが、大きなテーマなのでこれはまた別の機会に譲るとして、以下、皆さんの発言を板書したものから一部抜粋します。

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「愛」の対象はヒトのみならず、モノやもうこの世には存在しないモノ・コトに対しても存在する思いである ⇔ “「愛」する”こと“「愛」される”こと、2つのやり取りがあって成立する

「愛」は感謝から生じるものである。

「愛」はすべての行動力の源である
⇒すべての行動力=愛なのではないか。

全ての「愛」が帰結するところは、自己「愛」である
⇒まさにキリストの教えである「隣人愛」(自分を愛するようにいかなる他者も愛する)のようなもの

「愛」とは自己犠牲である(少なからず多くの見返りを求めない行為)
⇔見返りのない行動をして、それは愛と言えるのか。(愛しても、愛されなかったら…)

「愛」とは、ヒトの感覚を麻痺させたり、依存させたりしてしまう

「愛」の対義語は「憎しみ」ではなく「無関心」である

「愛」の中には悲しい「愛」もある

「愛」は作れるものである ⇔「愛」はにじみ出るものである

「愛」は止まらない

「愛」は嘘をつかない、誤魔化しがきかない

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終了後、「性愛については話が出なかったね」「もっとドロドロした愛について聞けるのかと思っていた」などご意見をいただきました。「愛」にはアダルトな部分やダークな部分がありそうですね。
“90分では物足りないよぉ~”と言わんばかりに、次々と発言が出たとめどなき対話会、哲学カフェ@すぎなみ。第6回も多くの意見によって智(知)を愛することができたのではないでしょうか。ファシリテーターも書記も皆さんと一緒に「愛」について語りたくてウズウズ…だって、多くの人と哲学することを愛しているから…
見えないものを対話で洗い出し、板書によって「可視化」できる哲学カフェって面白いなと再確認しました。会場にいる人が皆平等になり、1人ひとりの頭の中を「いらっしゃい」「お邪魔しまーす」と行き来し、自分の頭にはなかった考え方・視点が新鮮で流れ込んでくる。答えが無いものに少しでも答えらしいものが自ら出せるきっかけ作り。次回の哲学カフェ@すぎなみへの多くの方々のご参加をお待ちしております!
(文責:戸田慎之介)

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