第33回PAIDEIA哲学カフェ「自由って何だろう?」報告

 第33回PAIDEIA哲学カフェも、前回に引き続き多くの方にご参加いただきました。ありがとうございます。今回は前回の反省点を踏まえ、全員が話しやすい空間を作るために、前半のみAグループとBグループの2つのグループに分け、後半は各グループで出た問いをまとめ更に発展させていくというスタイルの対話を行いました。Aグループのファシリテーターは長瀬が、Bグループのファシリテーターは臼井が務めました。天候も悪く予定より早く対話を終わらせなければならないというアクシデントも起きましたが、対話はスムーズに進み、多様な意見を聞くことができました。

今回の対話のテーマは「自由って何だろう?」でした。
まずAグループの対話は、「自由とは度合いのことではないか」という、自由をパラメーターのように捉えた意見から始まりました。

「知識を多く持っている人のほうが自由度は高い」
「知識を持っていれば、自分の中の選択肢を増やすことができるから自由度が上がる」

最初の意見に対しては、知識が身につくことで自分のできることの選択肢が見えてくるのでたしかに知識量と自由度は比例するのではないかという賛同意見もありましたが、他方で後者の意見に対しては、知識が増えると自分のできないことまで見えてきてしまうので、知識が無いときより不自由を意識してしまうではないか、という反対意見も出ました。

「そもそも自由とは何なのか?」

知識と自由度が比例するという議論が繰り広げられる中で、知識という概念をなくしてみたとき、そもそも自由とはどのようなものとして考えられるのか、という根本的な問いが投げかけられました。それに対しては、何にも制限されずに自分の思うままに行動ができることが自由であるという意見と、制限の中であっても自分で選択しているという今の状態そのものが自由である、という意見が挙がりました。

そこから「今の状態は自分にとって自由であると思うか」という問いが投げかけられ、自由であると考える人と、自由ではないと考える人に分かれました。自由であるという人は自分が今置かれている現状に満足しており特に不自由を感じていない、という意見を持っていました。対して自由ではないという人は、そもそも人は地球という制限の中で生きているのでその時点で既に不自由であり、人は自由になることは根本的に無理なのだという意見を持っていました。この2つの意見の違いは、自由になりたいと思っているかどうかという欲望の強さ、すなわち自由になりたいという欲望が制限の中でのことにとどまっているか、制限の外にまで向いているかどうか、という点でした。現状に満足していれば自由なのか、果たして自由は存在しているのだろうか、とても考えさせられる問いです。 

Bグループの対話では、「法律が自由を奪っている」という意見から始まりました。

「法律という不自由によってみんなの自由が保たれている」
「法がなければ自由ではないか?」

法律があると自由が縛られ行動が制限されるといった意見が挙がった一方で、法律という縛りがなければ最低限の自由すらも保証されないからこそ、最低限度の縛りをつくることで自由が保たれているのではないか、といった意見が挙がりました。法律は、個人の自由ではなく社会全体の平等な自由を保証するためのものなのか、そうではないのかが論点となりました。。

「1人でいることは自由」
「集団でいるとルールが加わり自由ではない」
「1人こそが完璧な自由」

続いての議論は、集団、社会ルールの中で自由があるのかという点をめぐって対話が広がりました。集団で生活を送るのであれば社会ルールに縛られて生きることになるが、それは社会生活を送る以上仕方のない事であり、そのルールがあることで私たちの自由が保障される。そのルールさえも守れないのならば孤独に生きればいい。1人で生きればルールにさえ縛れないで生きていける、完璧な自由だ。そういった意見が出ました。集団で生活していくには縛りやルールが必要であり、その上に自由が保障されているといった印象を受けました。

 続いて、全体での対話の内容を見ていきたいと思います。後半のファシリテーターは、木村ゼミの小西が担当しました。

「不自由があるから自由が感じられる」
「不自由を乗り越えるからこそ、その先の自由に希望を感じられる」

後半の対話では、不自由と自由の関係性についての議論から始まりました。
不自由の期間があるからこそ自由であることが際立つのではないかといった、不自由と自由の相互関係をめぐる議論が行われました。全体的に、不自由と自由が相互関係を持っているという意見に共感している人が多かったという印象です。

「そもそも自由とは、良いものであるのか?」

続いて議題に挙がったのが、自由は良いものなのか、という問題です。「主体性を持っていること」がよい自由の条件である、という意見や、自分の好きなことを何事にも囚われずに思うままにできることが自由というならば、自由は良いものだ、という意見も挙がりました。そして、「果たして自由であることが良いことで、不自由であることがいけないことなのだろうか」といった議論が繰り広げられました。対話が盛り上がってきたところで時間が来てしまい、疑問が膨らんだままで幕を閉じることになりました。

 今回の対話に参加して、自由というのはとても身近な存在だと感じました。対話を行う前は、「自分の欲望を好きなだけできることが自由」「何も考えなくていい漠然とした自由」といったことしか思い浮かばず、自由がとても遠い存在だと考えていました。ですが、選択をする自由、仲間を選ぶ自由、そして不自由があるからこそ自由があるという点には、大いに共感を覚えました。また、2グループに分けて対話を行ったことにより、参加者の意見をたくさん聞くことができ、自由について深く考えることができました。それにより自由をめぐる知識も大いに深めることができたと思います。是非皆さんも身近な人と一緒に「自由」について考えてみてはいかがでしょうか?

 次回のPAIDEIA哲学カフェは7月18日(木)17時より、高千穂大学1号館2階マーキュリーホールにて開催します。テーマは「信頼って何だろう?」です。お時間のある方、ぜひ参加お待ちしております!

(報告者 高千穂大学人間科学部齋藤ゼミ3年臼井将大・2年長瀬大和)

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