第51回PAIDEIA哲学カフェ・オンライン「友達とは?」(2021年6月10日)報告 

第51回PAIDEIA哲学カフェ・オンラインにご参加いただきありがとうございました。  

今回は「友達とは?」をテーマに対話を行いました。  

まず初めに「友達よりも仲間が欲しいと思う」という意見から対話はスタートし、友達と仲間の違いは何かという問いが生まれました。これに対しては、仲間とは何かの物事を一緒に成し遂げるなど同じ目的を持つ人同士のことであるという意見や、友達は波長の会う人という意見も出ました。また「友達が欲しいのか」という投げかけもあり、友達を欲しいと思ったことがない、といった意見も見受けられました。 

中盤では「友達とは相互に友達と認識しているものなのか」「一方的な場合もあるのか」という問いから、友達の場合は自分が相手の負担になってしまうことを心配したり遠慮してしまう、という意見もありました。他方、仲間の場合はある程度距離のある関係なので、仲間ができたことにより友達の価値が仲間に比べて小さくなった、という考えもありました。最終的には「友達とはお互いの気持ちをぶつけ合える」という意見や、「真剣な相談ができる人」という意見もありましたが、これに対して相談はプロにするべきという意見もありました。そして、友達はいたらラッキーという気持ちでいることが気楽でよいのではないか、という意見が出たところで対話は終了しました。 

今回の対話をとおして、私自身は歳を重ねるにつれて友達と呼べる人のハードルが上がっているなと感じました。以前であれば友達と認識していた関係性の人も、いつの間にか「知り合い」や「仲間」と呼ぶようになっているのではないだろうか、とも思いました。それは配慮の気持ちなども含まれていると思いますし、また世界が広がり様々な関係性の人間と出会えたということでもあると思います。しかしだんだんと大人になっていっても、まだ友達と呼べている人たちを大切にしたいなと思いました。 

次回は7月8日(木)20:00よりzoomにて開催予定です。  

詳細は追ってご案内します。ぜひご参加ください。  

(報告者:高千穂大学人間科学部 齋藤ゼミ3年 小嶋千莉)  

第50回PAIDEIA哲学カフェ・オンライン「心の強さとは?」(2021年5月20日)報告

 第50回PAIDEIA哲学カフェ・オンラインにご参加いただきありがとうございました。
 今回は「心の強さとは?」をテーマに対話を行いました。
 

 最初に、心の強さとは意志の強さではなく対人関係の強さ、という意見から対話が始まりました。そこからトラブルに動じずに余裕を持てることが心の強さという意見や、ストレスを上手く解消できることが強さという意見、そして人に何を言われても傷つかないという鈍感さを心の強さであると考える人もいました。
 次に、鋼のメンタルについての話題になりました。たくさん経験を積んだことで痛みやトラブルに対する耐性を得たものが鋼のメンタルという意見もあれば、鋼のメンタルという言葉に対して説教臭さのようなネガティブな印象を感じるという意見も見受けられました。他にも、心の強さとはしなやかなイメージであると発言した人が、鋼のメンタルは常に見せるものではなくいざという時に見せるものであり、人の気持ちを共感できることも心の強さに関わっているという考えも出てきました。
 最後に、心とメンタルの弱さは強さと対極にあるものでなく同じ軸として考えることができるのではないかという意見が出ました。心が強くあることを強制しメンタルが折れることを受け入れない社会に対する悲しさ、強さも弱さも個性という発言もありました。他にも、経験を積んでいなくてもトラブルに直面したその時にどういった対処をするべきか冷静に判断できる直感力の強い人が心の強い人、人は心が弱いからこそ人と対峙して心が強くなる、そして目標を納得できる結果を実現するまでやり遂げる欲の強さも心の強さといった意見が出たところで対話は終了しました。
 心という目に見える形を持っていないものに強度があると表現することも不思議に感じられましたが、対話を行ったことで「心の強さ」に対する多種多様な考え方について共有できたことがとても嬉しかったです。そして心の強さを説明するためにコップや刀、ヱヴァンゲリヲンやドラえもんののび太とスネ夫といった例を挙げていたことが印象深く感じられました。アフタートークでも、何も知らない赤ちゃんの心は強いという意見や、無謀と勇気は違うという意見など、心の強さを考える際に自分一人では思いつかないような意見もたくさん出てきたので、貴重な時間を過ごすことができました。
 次回は6月10日(木)20:00よりzoomにて開催予定です。 詳細は追ってご案内します。ぜひご参加ください。
(報告者:高千穂大学人間科学部 齋藤ゼミ2年 薮内伶香)

第49回PAIDEIA哲学カフェ・オンライン「わがままとは?」報告

今回のテーマは、「わがままとは何か」でした。

最初は、わがままとは最近はほとんど使わなくなった言葉になっていて、子供に対しては、わがままという言葉を使い、大人に対しては自分勝手という言葉を使うという点から始まりました。そこから、大人になればわがままにならなくなっていくのかという疑問に対する所に広がっていきました。実際大人に使うこともあったとしても、あくまで相手に精神年齢の低さに言っているのであって、結局のところ、子供に対する言葉になるのではないかという意見になりました。

その過程の中で、ではわがままと自分勝手は同じ意味なのか?という話題に焦点が当たりました。そこで、それぞれの言葉に対するイメージの話になり、わがままという言葉は、いい意味と悪い意味が両方あり、自分勝手という言葉は、ほとんど悪い意味で使われる印象があるという意見が出ました。わがままという言葉は、もちろん駄々をこねている様子を見て、不快な気持ちになる場合もあれば、しょうがないなぁ、というニュアンスでわがままという言葉が当てはまる状況があるという事です。その逆、自分勝手は、自分の我を乱暴に押し通している様に使われる言葉であるという気づきがありました。また、わがままは、天真爛漫も含まれているのではないかいう意見が出ました。だから、たとえわがままだとしても、許せてしまう部分が出てくるのではないかという答えが出ました。さらに、わがままという言葉は、自然体であるイメージが結びつくという非常にしっくりくる意見が出ました。あるがままにそこに存在している、という風に感じ取れる事からそう捉えることが出来るとのことでした。

 最後の方に、この哲学対話自体が、わがままなのではないのかという面白い意見が出ました。この場所は、お互いが自分の意見をぶつけ合っているという点から、自分自身のわがままを話し合って、どう折り合いをつけていくのかというのが体験できる場所が、この哲学カフェであるという風におっしゃった方もいました。人のわがままな話を聞いたり考えたりする部分が、哲学という学問に深く結びついているという意見でした。

 振り返ってみると、わがままという言葉は、色んな可能性があってとても面白いなと感じました。わがままは技術であり、使いこなせば、その人の大きな力になると言う人も、いたのもあって、ますます「わがまま」という言葉が分からなくなったように思えます。人の生涯において、程よいわがままは必要なのかもしれないと感じました。

次回は5月20日(木)Zoomにて開催予定です。ぜひご参加ください。

(報告者:高千穂大学人間科学部 齋藤ゼミ3年 塚田拓翔)

第49回PAIDEIA哲学Café「わがまま」とは?​2021/04/29開催案内

あなたがわがままだと感じることは何ですか?​

どこからがわがままだと言えるのでしょうか。​

私たちと一緒に考えてみましょう。​

日時:2021年4月29日(木) 20:00-21:30​

場所:Zoom​

​*事前登録は不要です。当日下記リンクもしくはQRコードからご参加ください。​

*途中参加・途中退室も自由です。​

*ビデオのオン・オフも自由です。​

https://bit.ly/3sMjJVj​

第48回PAIDEIA哲学カフェ・オンライン「運とは?」(2021年3月18日)報告

 第48回PAIDEIA哲学カフェ・オンラインにご参加いただきありがとうございました。
 今回は「運とは?」をテーマに対話を行いました。
 運とはどのようなものかということから対話は始まり、まず運とは偶然のようなものだという意見がありました。そこから人生における事柄は全て運によって決まるという意見、生まれた環境など自分で決めることのできないことは運により決まるという意見、それらとは全く対照的に、運というものはそもそも存在せず、思い込みのようなものであって、人生において起きる全てのことは自身が行った選択によるものである、と考える人もいました。
 さらに同じ「運」の漢字を使っているにもかかわらず、運命は必然のような印象を与えるが運は偶然のような印象を与えるという意見をきっかけに、運と運命の違いへと対話は進み、占星術などの占いについての話も出ました。
 そして、「自分から運が良かった」と言う場合には謙遜の意味もあったあり、他人のことを「運がいい」と言う場合は相手を妬ましく思う気持ちが含まれている、という意見もありました。他方で、他人から見た運がいいと言われる場合は、それが適切な見方である場合が多いという考えもありました。
 そこからさらに、自分自身について運がいいか悪いと言うのは、たんなる思い込みではなく、自分が置かれた状況を正しく認識する必要性があるということだ、という意見が出たところで、ちょうど対話は終了しました。
 思い返してみると、私自身は日常生活で運という言葉を使う場合には、何かうまく行かなかったときの言い訳の言葉として使うことが多く、いい運の使い方ができていなかったかもしれない、と反省しました。今回の哲学対話を通して、運といったものは存在せず、自分の選択が物事を起こすのではないだろうかと考えなおすに至りました。しかしそれでもやはり、いつか運命だと感じるような出会いをしてみたいという期待は、今なお心のどこかで感じているようにも思います。
次回は4月29日(木)20:00よりZoomにて開催予定です。
詳細は追ってご案内します。ぜひご参加ください!
(報告者:高千穂大学人間科学部 齋藤ゼミ2年 小嶋千莉)

第48回PAIDEIA哲学カフェ・オンライン「運とは?」(2021年3月18日)報告

第48回PAIDEIA哲学カフェ・オンラインにご参加いただきありがとうございました。 

今回は「運とは?」をテーマに対話を行いました。 

 運とはどのようなものかということから対話は始まり、まず運とは偶然のようなものだという意見がありました。そこから人生における事柄は全て運によって決まるという意見、生まれた環境など自分で決めることのできないことは運により決まるという意見、それらとは全く対照的に、運というものはそもそも存在せず、思い込みのようなものであって、人生において起きる全てのことは自身が行った選択によるものである、と考える人もいました。

 さらに同じ「運」の漢字を使っているにもかかわらず、運命は必然のような印象を与えるが運は偶然のような印象を与えるという意見をきっかけに、運と運命の違いへと対話は進み、占星術などの占いについての話も出ました。

 そして、「自分から運が良かった」と言う場合には謙遜の意味もあったあり、他人のことを「運がいい」と言う場合は相手を妬ましく思う気持ちが含まれている、という意見もありました。他方で、他人から見た運がいいと言われる場合は、それが適切な見方である場合が多いという考えもありました。

 そこからさらに、自分自身について運がいいか悪いと言うのは、たんなる思い込みではなく、自分が置かれた状況を正しく認識する必要性があるということだ、という意見が出たところで、ちょうど対話は終了しました。

 思い返してみると、私自身は日常生活で運という言葉を使う場合には、何かうまく行かなかったときの言い訳の言葉として使うことが多く、いい運の使い方ができていなかったかもしれない、と反省しました。今回の哲学対話を通して、運といったものは存在せず、自分の選択が物事を起こすのではないだろうかと考えなおすに至りました。しかしそれでもやはり、いつか運命だと感じるような出会いをしてみたいという期待は、今なお心のどこかで感じているようにも思います。

次回は4月29日(木)20:00よりZoomにて開催予定です。 

詳細は追ってご案内します。ぜひご参加ください! 

(報告者:高千穂大学人間科学部 齋藤ゼミ2年 小嶋千莉) 

第47回PAIDEIA哲学カフェ・オンライン「本能とは?」(2021年2月18日)報告

第47回PAIDEIA哲学カフェ・オンラインにご参加いただきありがとうございました。

 今回は「本能とは?」をテーマに対話を行いました。

 まず、生理的と本能の違いについて対話が始まりました。生理的とはキモイ、うざいなどと同じ系列にあたり、本能とはイコールにはならないという意見が多くありました。また、生理的は人間味があり本能は動物味があるという意見がでましたが、この意見には全く逆の意見を持つ人もいました。

 次に本能は自由を邪魔するのではないか?という意見から、本能とはなにかという話題をさらに深く掘り下げて話が進んでいきました。本能とは欲求より奥深くにあるもので抗えないものという意見や、あらわすことのできない思考外のものという意見も出ました。そして、本能には欲求に似たものと、思っていたことと違う行動をしてしまうものの2種類に分けられるという意見が出たところで対話は終了しました。

 私は、本能とは実際にはなく都合よく作られた言葉という意見がとても面白いと感じました。確かに言葉のないものにただ本能と名前を付けて語っているだけだと考えると、意見でも出たように便利な言葉という考えもできると思いました。今回の対話では、生理、欲求、本質などの本能に近い言葉がたくさんあがりましたが、それらの違いはなにか、どこから本能というのかなど、さらに深く対話してみたいと感じました。

 次回は3月18日(木)20:00より「運とは?」をテーマに、Zoomにて開催予定です。

 詳細は追ってご案内します。ぜひご参加ください!

(報告者:高千穂大学人間科学部 齋藤ゼミ2年 小林凜)

【第47回PAIDEIA哲学caféオンライン「本能とは?」】2021/2/18(木) 20:00〜21:30

第47回PAIDEIA哲学caféオンライン「本能とは?」

日時:2021/2/18(木) 20:00〜21:30

場所:Zoom

「本能」とはいったい何か?私たちと一緒に考えてみませんか?

入退室自由。参加希望の方は下記URL・QRコードから。ご参加お待ちしています!

bit.ly/3c2L5lw

第45回PAIDEIA哲学カフェ・オンライン「思い出とは?」(2020年12月17日)報告

 第45回PAIDEIA哲学カフェ・オンラインにご参加いただきありがとうございました。今回は「思い出とは?」をテーマに対話を行いました。  

 最初は、嫌な出来事でも今ではいい思い出として昇華している事も多い、という意見から対話は始まりました。それについて、いい思い出や悪い思い出の差はないという意見や、また、思い出は全ていい思い出しかなく、それについて切ないと感じるかどうかといった意見、さらには悪い物であってもそれは、今の自分の糧となるいい思い出なのではないか、といった意見も出ました。  

 次に、思い出を「いつ」思い出しているのか、という話題になりました。これついては、意識しなくても自然と思い出すことができるとか、他者と関わっている時に思い出す事ができるといった意見が出ました。しかし他方で、自分で思い出す事が出来ないものや、自分の関心のない事は思い出す事ができないのではないか、という意見も見受けられました。他にも、思い出を思い出すだけではなく、未来や現在進行形で作られているのではないか、などという考えも飛び出しました。この対話のなかでは、写真や動画を撮ることで、後からそれを見て思い出すこともできるという意見があり、この点はとても共感できました。  

 最後に、思い出と記憶の違い、そして思い出には共有・時間・距離などといった様々な概念が関係しているのではないかという意見が出ました。思い出と記憶の違いに対しては、記憶の中に思い出があるのではないかという発言もありました。これは、記憶を自分の経験したことであるとした場合に、その経験に感情が入る事で思い出になるのではないかとする考えから出てきたもので、この点はみなで考え込んでしまうほど印象に残る対話になりました。共有・時間・距離の関係については、残念ながら時間がなくなってしまったため、深く対話することができませんでした。  

 今回初めてファシリテーターを務めさせていただきましたが、参加者の皆さんのアシストのおかげで無事終えることができました。皆さんの考えを追いながらずっと考えを巡らせ続けるのは大変ではありましたが、この経験自体が、この先とてもいい「思い出」となるように感じました。また対話を聞いていて、写真や動画を見て思い出すことがあるという意見については、私自身も音楽を聴いている時に、かつてその音楽を聴いていた瞬間を思い出したこともあり、大いに共感するところがありました。その他のさまざまな意見についても、今後私の中で整理して考えをまとめていきたいと思いました。  

 次回の哲学カフェは年明け2021年1月21日開催予定です。詳細は追ってご案内します。ぜひご参加ください! (報告者:高千穂大学人間科学部 齋藤ゼミ2年 開真那斗)

第45回PAIDEIA哲学Café​オンライン「思い出」とは?2020/12/17開催!

【第45回PAIDEIA哲学Café​オンライン「思い出」とは?】
2020年最後のパイデイア、「思い出」について考える時間、ご一緒しましょう!
日時:2020年12月17日(木) 20:00-21:30​
場所:Zoom​ https://bit.ly/2L2AJGJ
みなさんには、忘れられない思い出といったものがありますか。​
ふとした時に、過去の出来事を思い出したりすることはありませんか。​
その思い出は、どうしてあなたの思い出になっているのでしょう。​
私たちと一緒に「思い出」について考えてみましょう。​
*事前登録は不要です。当日下記リンクからご参加ください。​
*途中参加・途中退室も自由です。​
*ビデオのオン・オフも自由です。