第49回PAIDEIA哲学カフェ・オンライン「わがままとは?」報告

今回のテーマは、「わがままとは何か」でした。

最初は、わがままとは最近はほとんど使わなくなった言葉になっていて、子供に対しては、わがままという言葉を使い、大人に対しては自分勝手という言葉を使うという点から始まりました。そこから、大人になればわがままにならなくなっていくのかという疑問に対する所に広がっていきました。実際大人に使うこともあったとしても、あくまで相手に精神年齢の低さに言っているのであって、結局のところ、子供に対する言葉になるのではないかという意見になりました。

その過程の中で、ではわがままと自分勝手は同じ意味なのか?という話題に焦点が当たりました。そこで、それぞれの言葉に対するイメージの話になり、わがままという言葉は、いい意味と悪い意味が両方あり、自分勝手という言葉は、ほとんど悪い意味で使われる印象があるという意見が出ました。わがままという言葉は、もちろん駄々をこねている様子を見て、不快な気持ちになる場合もあれば、しょうがないなぁ、というニュアンスでわがままという言葉が当てはまる状況があるという事です。その逆、自分勝手は、自分の我を乱暴に押し通している様に使われる言葉であるという気づきがありました。また、わがままは、天真爛漫も含まれているのではないかいう意見が出ました。だから、たとえわがままだとしても、許せてしまう部分が出てくるのではないかという答えが出ました。さらに、わがままという言葉は、自然体であるイメージが結びつくという非常にしっくりくる意見が出ました。あるがままにそこに存在している、という風に感じ取れる事からそう捉えることが出来るとのことでした。

 最後の方に、この哲学対話自体が、わがままなのではないのかという面白い意見が出ました。この場所は、お互いが自分の意見をぶつけ合っているという点から、自分自身のわがままを話し合って、どう折り合いをつけていくのかというのが体験できる場所が、この哲学カフェであるという風におっしゃった方もいました。人のわがままな話を聞いたり考えたりする部分が、哲学という学問に深く結びついているという意見でした。

 振り返ってみると、わがままという言葉は、色んな可能性があってとても面白いなと感じました。わがままは技術であり、使いこなせば、その人の大きな力になると言う人も、いたのもあって、ますます「わがまま」という言葉が分からなくなったように思えます。人の生涯において、程よいわがままは必要なのかもしれないと感じました。

次回は5月20日(木)Zoomにて開催予定です。ぜひご参加ください。

(報告者:高千穂大学人間科学部 齋藤ゼミ3年 塚田拓翔)

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